自殺は自由

自殺は人の当然の権利である

生きる権利はあるが死ぬ権利がないという考えは論理的に破綻している
生きることも死ぬことも理性的に判断すれば自由である

ただ、感情的に受け入れがたいという情緒の次元の問題である

携帯電話の機種変更と同程度に楽に死ねる自殺の権利を容認したら、人口は半減するだろう

人は自分がどの程度生きたいと欲しているかをすら知らずに、無意識にただぼんやりと生きている
それは本来の生ではない
その生にも目的はあるのだが、その目的は本人のためではなく、ほかのあるもののためにある

その現実を知ることは人間のエゴには耐え難い

それゆえ、あらゆる娯楽が提供される

テーマパークからゲーム、ギャンブル、映画、テレビ、小説、ゴシップ、麻薬、格闘技、スポーツ、タバコ、コーヒー、スイーツ…生命の存在にはおよそ無くてもいいものがこれだけ蔓延するのは、耐え難い無意識の痛みの麻痺と緩和のため以外のなにものでもない

人類は、そのあまりの未熟さと幼稚さと、幼児独特の繊細さのため、自らの現実を受け入れ切れない

自らの生が、何のためにあるのかを知ることの痛みに耐えられない

知れば誰も生きていたいとは思わない
そこだけやけに高潔ぶる人格の奇妙なところだ

家畜のエサだと気づかぬうちは娯楽に興じて歓喜し、身も心も捧げんばかりなのに、その目的を知ると、これ以上ないほど傷つけられる

赤ん坊と変わらない


自殺に至る人間は無意識下で、自らの生の目的を知ってしまった

知ることは悲劇
繊細な人間には耐え難い
知ってなお生き続けるより死ぬ方が自我的には楽である


楽を選ぶ権利はある

自殺を責めるのは
そのあまりに深い絶望と虚無を知らない子供の幼稚な被害者意識と哀れな正義感の表れである