不安の実態〜株価2000円の時代に〜

世界的な金融不安だというが、この不安には根拠がない


すべての不安の究極の実態は、いつか死ぬ ということへの投影でしかない


自分もいつか死ぬ
極めて普通で当然のことだ


それは受け入れてしまえばどうでもいいことで、ありがたいことでもあるのだが、なぜか人類は死は忌むべきもので、罰として生命を失うと考えている、かなり時代錯誤な認識のものが多い


いまの経済不安も、いつか死ぬかも知れな〜いという不安に煽られた結果で、それ以上の根拠はどこにもない


一番いいのは、鼻もかめないような株券をメモ帳にでもしてみるか、味噌汁の具材にでもしてみると、いかに使えないものかがわかる


人間は使えもしないものの価値に振り回されて今日を生きている


ニュートラルに考えて馬鹿である



さらに幼稚なことに、自分が死ぬと困る他者が存在するという認識を未だ持つ人も多い


これは、親や会社の責任ある地位などに立ってしまった弱者が自己存在を正当化するための悪魔が掛けた罠に素直に嵌まる素朴な人々なのだが、考えればすぐわかること


親が死んで困る子供はいない

潰れて困る会社はない

悲しみはあるだろうが、そんなに困らない

むしろ毒になる親に育てられるよりは、孤児の方が飛躍ある人生を望める

社長が死んで困る社員も、そういない

いるとすれば、よほどに自立心の欠落したお子ちゃま社員で、大抵の大人なら、会社がなくなった場合にどう生きるか、は算段ができている


株価が2000円になろうが、980円のランチセット並みになろうが、それがいまの企業の本質的価値なのだから、それで生きればそれでいい


もともとありもしない価値を捻出するゲームのルールでしかないのだから、(まさかゲームと気付かず、本気で取り組む馬鹿もそういないが)
値段の上がり下がりに一喜一憂する必要もない



不安の実態はいつか死ぬかも…という生命に対する認識の幼稚さと、自分には価値がないから、せめて株券でも持っていようという自己評価の低さから来る



低い評価には低い価格設定を


極めて自然で当然の値動きである